『夕食』

2003年8月26日
家族みんなで暮らしてた頃は、母が自慢の手料理をいつも振る舞ってくれた。
生まれた場所と環境のせいか、決して豪勢な食事ではなかったけれど、素朴なおいしさがあった。
だから母の手料理が大好きだった。

白い指先は、とても細く、長く見えた。
その十本の指が、器用にくるくると動き回ると、そこにはもう料理ができていた。
器用に動き回る指先と腕。
そして台所に立つ後ろ姿。
それだけは、薄い皮膜がかかったような光景として、瞼に焼き付いている。

母が倒れ、父が旅に出た。
それでも母や、いつも台所に立とうとした。
最初の頃は、心配しながらも、大丈夫だと思っていた。
けれど、病状は悪化の一途を辿るだけだった。
栄養のあるものを食べてもらいたい。けれど、料理はできない。
そんな葛藤はあったけれど、母を働かせるのが辛くて、葉月は台所に立つようになった。

料理は自分で食べても美味しくなんかなかった。
食べれないものではなかったけれど、母の料理と比べれば天と地の差があった。

それなのに、母は笑ってくれた。
ありがとうと言って、笑ってくれた。

母が死んで、母の親友の幽霊と一緒にいるようになった。
変な幽霊で、死んでる癖に会話も食事も魔法も、何でもできた。
人をからかったりすることは多かったけど、嫌いじゃないし、むしろ好きだと思う。
そして、彼は料理の基本を教えてくれた。

幽霊の彼には放浪癖があって、ふらふらと旅に出たり、何も考えずに空を漂っていたりして、夜になっても帰ってこない日は多かった。
そんなときは、なんだかつまらなくて、さほど美味くもない料理を胃の中に押し込んだ。
食べても食べても、どこかに見えない隙間があるような、そんな空腹を感じることもあった。
けれど、それには目を瞑った。

最近は仕事を始めた。
武器やら鎧を加工する仕事で、それなりに繁盛もした。
広告を出せば、誰かが気まぐれに来てくれたりもしたから、お金には困らなかった。
それに自分も冒険に出ているから、逆にお金はあまりいらなかった。

収入が増えると、外食が多くなった。
誰もいないあの家で、独りで夕食を食べるよりも、どこかの食堂で食べた方が、まだ気が紛れる。
時々、酒場にも顔を出してみたりした。
さすがに年齢的に無理があって、追い出されもしたけど、話してくれる人もいて、結構楽しかった。

それでも結局は家に帰る時が来て。
夜道を独りで歩いていると、胸の一番深いところがぎゅっと締め付けられるような痛みを覚える。
痛みの理由は月があまりに綺麗だからだと、最近気づいた。
月を崇める血は、きちんと自分の中にも受け継がれていたらしい。

部屋で一人、月を見ていると、あの痛みが更に強くなって、ようやく気づいた。
僕は寂しいんだ。
僕はずっと、寂しかったんだ。

ちょっとだけ、泣いた。

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