アレは魔物だよ。誰かの言葉が耳に響き続けて、非道く不快だった。そんな夏が、今も忘れられない。

 その少女に最初に出会ったのは、広い庭の中だった。土地だけはたくさん持っている旧家の娘で、その自慢の庭の中で微笑んでいた。
 白いワンピースから伸びたしなやかな四肢は、瑞々しくも白く、やけに眩しかった。目が眩むほどに。
 年齢よりも随分と幼く見える外見は、非道く愛らしいものだった。美しいとか綺麗といった表現では表すことができない。薔薇よりは菫に、百合よりは鈴蘭に似ていると思った。
 風になびく細い髪と、しっとりと潤んだ黒い瞳。それだけが白く眩しい少女の中で、黒を強調していた。静かなまでの闇。光を浴びてもなお消えることはなかった。
 唇はほんのりと薄紅色をしていた。色の薄い唇はふっくらとしていたが、触れることは叶わなかった。けれどゆるりと弧を描く様子だけは、瞼に焼き付いている。

「君は誰?」

 問うと、彼女は音を立てずに笑った。
 世界に沈黙が広がり、急に足下がふらつくような感覚に襲われる。けれどそれが不快でなく、不思議だった。

「私は妖精よ」

 短く応じると、こちらの存在など忘れてしまったかのように、どこか遠くへと視線を向けた。そして重力を感じさせない動きで、軽やかにどこかへと走り去っていった。
 ただそれだけの、短い邂逅。ほんの数分の出来事に、未だにとらわれているのだ。けれどそれを情けないことだとは思わない。

 アレは魔物だよ。誰もが惑わされる。気をつけた方が良い。

 そういったのは、誰だったのか。
 そう言った人物も、あの少女に囚われていたことは覚えている。笑いながらも、音もなく、静かに溺れていた。狂気の波の上をたゆたっていた。
 おそらくは、自分も彼女に囚われたのだろう。否、彼女は捕らえたつもりなど毛頭ないに違いない。あの少女は微笑んだだけなのだ。そして妖精だと名乗っただけなのだ。

 アレは魔物だよ。

 彼女は、妖精だった。

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