『飢餓』

2003年11月1日
 頭の中がぐるぐるしてるのは、空腹の所為なのだと。そう、今決めた。

 触れてくる指先が妙に熱っぽくて、不思議と心が高揚するのがわかった。好きな人に触れられるっていうのは、それだけで幸せになれてしまう。
 手持ちぶさたな両腕を男の背中に回すと、腕の皮膚まで熱が伝わって、気持ちが良い。うっとりするようで、溶けてしまうような曖昧な感覚。
 喉の奥で喘ぐと、不意に意識が飛ぶような気がした。

 疲労に侵された身体のまま、シーツに溺れるのはとても気持ちが良い。火照った肌に冷たい布が触れるたび、そこだけ感覚が敏感になっていくのも面白い。
 堅くなった枕に顔を押しつけ、瞼をきつく閉ざす。もう、彼はいないだろう。二人で眠るベッドは、一人で暖めるには広すぎる。

「お腹空いた…」

 ぽつりと本音が零れた。全身を使った運動の後は、非道い空腹を覚える。それもいつものこと。だが、今日はいつもとは勝手が違った。
 眩暈がするのだ。閉ざした瞼の中で視界が揺れ、吐き気に負けた空っぽの胃が胃液を押し出そうとしている。

「気持ち悪い」

 気持ちの良い感覚など、とうにどこかへ行ってしまった。此処にあるのは、単純な不快感のみ。
 とろけそうだと思ったあの感覚はすでに消え、空腹にも似た痛みが脳を刺激する。苦しい。呼吸さえ、虚しさを覚える。

「お腹空いた」

 もう一度呟き、うっすらと瞼を開くと、ぼんやりとした景色が脳に飛び込んできた。見慣れた風景。いつも一人で見る景色。何よりも愛しく、憎く、離れられない部屋。
 この非道い空腹感は、いつも情事のあとに現れる。何かを叫ぶかのように胃が騒ぎ立て、頭がぐるぐるする。だが眩暈がするのは久しぶりだった。彼に会うのも、久しぶりだった。

 脳の中で、食欲と性欲を司る部分は隣同士なのだそうだ。いつだったか、彼に教えられたのだ。まだ二人そろって、朝を迎えていた頃に。空腹など微塵も感じていなかったあの頃に。
 互いに刺激し合う脳によって、ある程度食べれば性欲は満足するらしい。逆もまた同じこと。幸せな性生活は、満腹感を与えるそうだ。
 そんなことを思いだし、急に悲しい気持ちになった。気づかないようにしていた気持ちを、無理矢理見せつけられた気分だった。必死で隠していたのに。

 お腹がすいた。
 もう一度呟くと、ふと涙がこぼれた。お腹が空いた。空っぽなのだ。空白部分を埋めたくて仕方がないのだ。
 食べても食べても足りない。情事の後は尚更に足りない。苦しくて仕方がない。行為のあとは虚しさばかりが、空腹を紛らわしてくれる。

 会いたいなぁ。
 思わず呟き、自嘲気味な笑みをこぼしてしまった。

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