『川縁』

2003年11月20日
 今日の夕食は魚が良い。そう言い出したのは父だった。多分何も考えず、衝動的に言葉にしたのだろう。
「蒼河がお魚を食べたいっていうから、何匹か捕ってきて」
 その数分後、母は氷河にそう言い、小さな桶を手渡してくれた。

 さて、どうしよう。
 村の外れにある川縁にたって、氷河は小さく首を傾げた。魚を釣ったことはあまりない。はっきり言ってしまえば、下手に決まっているし、何より釣り竿も糸もない。
 柄にもなく氷河はしばし途方に暮れた。日が暮れる前に帰らなければならないが、帰る算段がどうしてもつかない。
「氷河?」
 そんな氷河に声をかけてきた人がいた。伯父の羽水だった。
「伯父さん」
「どうかしたのか?」
 羽水は氷河の隣に立ち、静かに川を見回した。それだけで水の精霊達が喜びの声を上げている。伯父は本当に水に愛されているのだと、信じずにはいられない瞬間だ。
「魚を捕ってこいって母さんに言われたんだけど」
 どうも良い方法が思い浮かばない。そう告げると、羽水は目を丸くした後、大きく溜息を吐いた。
「氷呼に教えてもらわなかったのか?」
「……何を?」
 問いに更なる問いで返すと、羽水は静かにしゃがみ込み、揺れる水面に指先で触れた。
 ただそれだけだというのに、流れに逆らうように水面が静かに震えだした。羽水は何も言葉にしていない。けれど、水の精霊達が彼の意を汲んで、自主的に動き出している。
 静かな震動は緩やかに波紋を作り上げ、水のはねる音が唐突に響いた。そしてきらりと白い何かが水面で光った。
「氷河、桶貸せ」
 此方に視線を向けずに言う伯父に、無言で桶を差し出すと、彼はそれを川の中にそっと沈めた。
 すると桶の中に小さな渦ができはじめた。最初はゆっくり、そしてだんだん速度を増し、力強くうねり始めた。そのうねりは桶の外まで広がり、そこに吸い寄せられるように白く光る何かが流れてくる。
 それが魚の鱗だと気づいたときには、銀色に光る川魚が数匹桶に収まっていた。

 「四匹で良かったか?」
 羽水は思い出したように尋ねながら、桶を氷河に手渡した。
「氷呼も水は得意だから魚を捕るのは得意なんだ。だから、やり方を教えたつもりになってたんだろうな」
 いや、それとも知ってると思っていたのか。わずかに首を捻りながらそんなことを呟き、伯父はじゃあなと行って、家へと帰っていった。
 氷河にもようやく、母が魚を『釣ってこい』ではなく『捕ってこい』と言った意味がわかった気がした。

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