『不治の病』

2004年2月23日
 「あ、ヤバイ、来た」

 彼女はそう言って、潤んだ目で俺を見た。
 助けてと、なんとかしてと、無言で訴えてくるその目が、俺はとても好きだ。勿論、普段の死んだ魚のように濁った目も大好きだが。

「ねぇ、すっごい死にたい」

 物騒な言葉を甘く囁きながら、垂れかかる彼女をそっと抱きしめた。
 彼女は珍妙な持病を持っている。精神的にどうとかいうもので、別に身体が悪い訳じゃない。けれどそれ故に厄介な病気だ。どうしようもない。
 俺は彼女の病気に『死にたがり』と安易な名前を付けた。彼女自身はこの名前について、何も言わない。その通りだと思っているようだし、興味もないのだろう。ただ濁った目で俺を見ただけだ。
 その名の通り、彼女は唐突に死にたがる。時期は別に決まっていない。本当に唐突に、彼女曰く『来る』らしい。衝動的なものなのだろう。嫌なことがあった直後とか、嫌いな人間に会った日とか、親戚に不幸があったとか、そんなことは全く関係ない。今年は彼女の誕生日にいきなり『来た』りもした。

「殺して…」

 そうやって、突然彼女は死にたがる。それも、ただ死にたがる訳じゃない。何故か殺されたがるのだ。いつもは濁っている黒い瞳を、きらきらと輝かせて。
 そのくせ、発病している間はいつになく甘い。優しい。恋人らしく振る舞う。潤んだ瞳でベッドに誘うこともあるし、キスを強請ったりもする。そして同じ唇で殺してと囁くのだ。
 背筋を寒気にも似た感覚が、ぞくぞくと駆け上る。

「どうやって? 絞殺? それとも刺殺?」

 だからいつになく甘えてくる彼女に、俺も優しく語りかける。睦言を囁くみたいに、甘く、愛を込めて。
 そうすると彼女は睫をふるわせ、しばらく考え込んだ。

「……絞殺が良いな。ぎゅってして」

 うっとりと呟く彼女を、力一杯抱きしめる。勿論首を絞めたりなんかしない。殺したら、彼女は死んでしまうから。当たり前だ。誰が彼女を殺したりなんかするか。
 ただ、愛しい。死にたいと叫ぶ彼女も、殺されたいと願う彼女も、狂ったまでに死に憧れる彼女が、愛しくて仕方がない。だから抱きしめる。細い首には触れないように。
 彼女は物足りなさそうな顔をするけれど、素直に身を任せてくれる。そうしてまた、口の中で死にたいと呟くのが聞こえた。

 奥が見えない、澄んだ瞳を見つめながら、そっとキスをした。
 彼女は俺の口の中に、殺してと囁いた。

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