『Platonic Bond』

2004年4月2日
 自分の名前が、時々認識できない。そう気づいたのは、千夏が眠ってすぐのことだった。
 それは何というか、不思議な感じだった。
 隣にいる人は、間違いなく自分に話しかけているのに、何を言われているのかわからない。わかるけど、誰に言っているのかわからない。
 呼び方は色々あるけど、どれに対しても結果は同じだった。いつもって訳じゃないけど、時々それは起こった。月に一日くらいのペースで。
 理由はよくわからなかったし、別に不自由も感じてはいなかった。毎日なら困るけど、月に一回なら、その日だけ静かにしてればいいし、適当に相槌をうつだけでも良い。
 そうやって、半年くらい、私は生活してた。

 私の異変に、一番に気づいたのは兄貴だった。予想通りのこと。
 その日、やっぱり私は自分の名前がわからなかった。だから兄に何度呼ばれても、振り返らなかったし、自分のことだと思わなかった。
 ただ、気づくと、兄貴が正面に立って、真剣な顔で私の名前を呼んだ、ような気がした。
 唇の動きと、耳障りの良い低い声が、私の心のどこかを震わせたんだと思う。なんとなく、わかった。名前を呼ばれた。兄が名前を呼んでくれた。私に話しかけてるんだ、と。
 何、と首を傾げながら応じると、兄貴は少し安心したような顔をした。それから、何か言いたげな顔をして、少し考えるような素振りを見せた。

 それから。
「お前は千夏じゃない」と言った。

 嗚呼。
 兄が何を思って、その言葉を言ったのか、私にはなんとなくわかる。けど明確にはなってない。ぼんやりとした形だけ、直感でつかんだ感じ。
 もしかしたら、兄はその時、私を千夏と呼んだのかもしれない。多分、それはないと思うけど。なんとなく。
 ただやっぱり、深い絆っていうか、根本的な心の繋がりを感じさせられた。まだ当分離れられないな、と思った。

 私の不可思議な病気は、それで終わった。
 心が震えたあの瞬間、私は自分の名前を、自分の存在を取り戻したのだと思う。

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