『ふるさと』

2004年8月17日
 排気ガスの臭さと高層ビル。
 蟻みたいな灰色の人間と光化学スモック。
 私のふるさと。

 ミュールのヒールがかつかつと高い音を立てる。きっととても耳障り。その音源である自分は、何とも思わないけど。
 バックを肩にかけ直そうとして、右手に掴んだ小振りな向日葵の重さにうんざりした。お隣さんの庭からもらってきた物。根本を水に浸したティッシュでくるんで、紙を適当に巻いただけの包装。飾りっ気もなければ、やる気もない。上辺を取り繕う気にさえならないのは、もう仕方がないことなんだ。
 いくら小さいとは言え、向日葵は向日葵。重い物はやっぱり重い。
 指先に力を込めると、エナメルで強化された爪が、茎を削った気がした。

 さて。
 いつも通りの道を通って、たどり着いた部屋。ドア横のネームプレートには間違いなくあの子の名前。
 もう、十分でしょ?
 右手の向日葵をドアの前に落とした。黄色い花片がひらひらと、寂しそうに揺れた気がした。気のせい。
「私はまぁ、平気だよ」
 ドアに向けて、囁いた。
「でもね」
 ぽつりと呟いた言葉は、何処か溜息に似ていた気がする。
「千夏がいた方が、いいよ」

 そうして年に一度の見舞いは終わった。
 顔も見なければ、ノックもしない。直接っていうのは、なんとなく無理な気がしてならないから。どれだけ薄いドア越しだって、それならまだなんとかなるんだけど。
 あの廊下に置き去りにした向日葵の行方は知らない。親切な看護士さんが拾ってくれるかもしれないし、清掃員のおばさんに捨てられるかも知れない。でもそんなこと別にどうでもいい。
 病院の自動ドアをくぐって外に出ると、煩いくらいに眩しい日差しが肌を焼く。

 蝉の声を聞きながら歩き出すと、微かに向日葵の匂いがした。

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