『約束』

2004年11月28日
 約束はいらない。

 「もっしもーし」
 携帯電話にいつも通り話しかけると、小さな溜息が帰ってきた。壁にかけてある時計をちらりと見ると、今は午前3時。だけど私の目はいつも通り醒めていて、冴えた意識はちっとも寝ようとしてくれない。
「どしたの、さっちゃん?」
『どうしたのじゃないでしょ、今何時だと思ってる訳…?』
 帰ってこない返事に問いかけると、ぼそぼそとさっちゃんの声が聞こえてきた。掠れていて、明らかに寝起きだということがわかる。機嫌の悪さを隠しない声に咎められ、私はにひひと笑った。
「午前3時5分ってところー?」
『私は明日6時起きなの…』
 明日は平日。私だって明日は学校がある。起きる時間は似たようなもの。
 だけど掠れた声は微かに怒りを帯びていて、あと少しで爆発してしかいそうな気がした。
「さっちゃーん」
『何よ?』
 それでも構わず、勝手に会話を続ける。そんな私に怒りながらも一々つきあってくれるのは、私の兄貴の彼女。何度かあったこともあるし、こうやって個人的に電話をしたり、メールのやりとりをする。
 さっちゃんは、優しい人。時々こうやって不機嫌な面を見せるけど、基本的には穏やかでちょっとおっとりしてる可愛い人。
 そんな彼女に、時々深夜の電話をかけてしまう。今日もそんな感じ。特別な用事があった訳じゃない。
「兄貴、元気?」
 だから、私の口から出た言葉は、本当にどうしようもないほどに、ありきたりなことだった。
『…元気よ』
 帰ってきた声は、さっきよりもずっと優しくなっていた。やっぱり好きな人のことを話すとき、人は優しい気分になれるのかなって思った。
『――ユキはね』
「ん?」
『いっぱい心配してるよ、元気かどうか』
 誰を、とは言わなかったけど、さっちゃんが言いたいことは、明らかだった。
「……兄貴はさ、心配性だから」
『それもあるけど。ねぇ――』
 さっちゃんは優しい。
 兄貴も優しい。
『約束して』
「何を?」
 優しい人達は、優しくない私を酷く思いやってくれる。
『いなくならないで』

 さっちゃんは、私達のことをどこまで知っているんだろう。
 兄貴のことだから、少しも話していないか、全部話したかのどちらかだと思うのだけど。私には時々、わからなくなる。さっちゃんは頭の良い人だから、自分で理解してしまったのかもしれないし。
 だけど、きっと兄貴が何かを不安がっているのを、察しているんだと思う。
 兄貴は千夏の事を悲しんでいる。今もまだ、ずっと悲しんでいる。寂しがっている。痛みを抱えている。
 私はそのどれも抱えていない。全部亡くしてしまった。掌からこぼれ落ちていったのか、自ら捨てていったのか、それはもうわからないことだけれど。

 「約束は、しない主義なんだ」
 そういうと、電話の向こうでさっちゃんが息をのんだのがわかった。遠い遠い場所にいるさっちゃん。優しいさっちゃん。
「それに、別にいなくなりたくないし?」
 明るく笑いながら言っても、さっちゃんは黙ったままだった。
 しばらく黙って、それから静かに言った。
『そう』
 うん。
「オヤスミ、さっちゃん。夜中にゴメンね」
『悪いなんて、少しも思ってないクセに』
 最後にさっちゃんの笑い声が聞こえて、電話は切れた。
 いなくなりたくなんてないけど。、別にどこにもいたくないって言ったら、きっと貴方は怒るから。
 だから約束はしない。
 だから約束はいらない。

 欲しい物は、不明瞭だけど、ただ一つしかないはずだから。

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切ない30の言葉達
http://purety.jp/moment/30w.html

05 約束

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