『慟哭』

2004年12月6日
 嘶きにも似た雷鳴。
 溜息にも似た慟哭。

 病院は、冷えた薬の匂いがした。
 母に持たされた花束を片手に、白い廊下を歩く。昼間というだけあって、病院全体がざわめいている。怪我人や病人ばかりということで、何となく静かなイメージがあったが、やはりそうではないらしい。逆に言えば、健康でないからこそ、他人との会話をいつも以上に楽しんでいるのかもしれない。
 慣れた道のりを歩きながら、手にずっしりとかかった重みに、溜息を吐きそうになった。名前も知らない薄紫色の花は、確かに綺麗だけれど、持って行っても意味はない。ただ、母にそんなことを言う気にはなれず、持ってきただけだ。
 花は見る人がいるからこそ、意味がある。
 眠り続ける人のための花には、どんな意味があるのか。
 私にはわからない。

 ドアの前にたどり着き、少し迷ってから一度だけノックをした。もちろん、返事はないけれど。
 ドアを開けると、一層薬の匂いが強くなった気がした。冷たくて、少しの熱に対する妥協も持っていないような、そんな死の匂い。生きている筈の自分まで、殺されてしまうような錯覚。
 そっとベッドに近づくと、それだけで足が竦んでしまう。
 怖いのではなく、怯えてるのでもなく、哀しいのでも、苦しいのでも、痛いのでもなくて。
 ただ、足が竦む。
 枕元に置いてあった花瓶に、花を押し込み、そっと椅子に腰を下ろした。
 眠り続ける千夏は、とても静かで、私の心も不思議と静かになっていく。まるで時間が止まったかのように、動くことをやめ、何処か朦朧とした意識がふわふわとしている。
 それなのに感覚だけは、やけに敏感で、小さな音を聞きつけた。
 窓の外を眺める。
 夕立が降っていた。

 激しい音を立てて降り注ぐ雨の向こうに、一度だけ稲妻が光って消えた。ごろごろと低いうなり声のような音と、その数秒後の一瞬の輝き。
 ほうと吐息を吐き出し、私はぼんやりとその光景を眺めた。
 雨は空が泣いているのだと、よく言うけれど、それでは稲妻はその嘆きの声なのだろうか。悲しみや怒りに打ち震え、叫ぶように大声を上げ、泣いているのだろうか。
 大地に打ち付ける雨粒は、勢いを増し、窓の外に斜線が引かれていく。くぐもった景色が見えた。
 白い病室で、薬の匂いを嗅ぎながら、そっと千夏の横顔を眺める。
 空の慟哭を聞きながら。

 泣き叫べることは、とても幸せなことなのではないのだろうか。
 そう思い、そっと千夏の頬に一瞬、指先で触れてみた。

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切ない30の言葉達
http://purety.jp/moment/30w.html

11 慟哭

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