その時が来た。

 「さよなら、しない?」
 いつもの帰り道に呟いた。それはあまりに唐突な言葉で、冬の空気の中にぽっかりと浮き上がった。その言葉一つで、世界が色を変えたこともわかったし、何かを踏み外したことも、壊してしまったことも、繋いだ手に伝わる静かな振動から、元に戻れないこともわかった。
「……どうして?」
 シュウ君は掠れた声で私に聞いた。
 驚いたんだろうね。でも本当は心のどこかで、彼だってこの日のことを知っていたはず。私だってずっと前から知っていた。それはただの、言い訳でしかないけれど。
 どうしてかなぁ、と呟きながら、二歩分前に出た。どうでも良いことだけれど、繋いだ手が、船と港を繋ぐロープのようだと思った。隣に並んでいられない気がしたから。
 ふっと一つ、息を吐き出し、静かに振り返る。
「どうしてかな? でもね、もう無理だと思うんだ。ちょっとこの辺が――」
 驚いて、傷ついて、それでも私を真っ直ぐに見つめるシュウ君の瞳。一重まぶたで、大きな黒い瞳。声と同じで、今はどこか掠れている彼の目を見てから、私は自分の胸を指さした。
「――もう、すれ違って、遠くなっちゃったから」
 ぽつりと言葉を落としてから、今の自分の顔を想像し、笑いたくなった。きっと情けない顔をしてるに違いない。そうでなければ、何事もなかったように笑っている筈だから。
 ゴメンね。
 静かに呟くと、途端に、距離が広がった気がした。
 先程まですぐ側にあった彼の体温が、急に遠のいてしまった感じ。戻れない。紛れもない事実がそこには転がっている。
 それでも、その距離を作ったのは私で、シュウ君ではない。彼を傷つけてでも、この関係にピリオドを打とうとしたのは私で、傷ついたのは私ではない。

 痛みや傷つくことを忘れてから、私はどんどん空っぽになっていったけれど、そんな私に色々なものを詰め込んでくれたのは、間違いなくシュウ君と兄貴だった。それを私は確かに知っている。
 けれどこうやって終わりを告げたから、シュウ君の手を離さなければならない。彼の心地よい体温と、私をつなぎ止めてくれる力強い腕と別れなければならない。
 ずっと一緒にいられたなら、本当はずっと良かったのだろうけれど。
 知ってしまったから。

 繋いでいた手をそっと離したら、もう、シュウ君の顔は見れなかった。
 冬の冷えた空気が、私達の間を通り抜け、微かに残った体温さえ奪い取って行く。あとには何も残らない。
「さよなら」
 別れの言葉は、さらさらに溶けて、流れていった。
 僅かな名残も残さないように。

 一人になった帰り道で、胸を押さえて、呼吸のしにくさに喘いだ。
 今のこの気持ちは、なんなのか。このもどかしいまでの息苦しさの正体を、お願いだから教えて欲しくて、今は遠い妹を思った。

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切ない30の言葉達
http://purety.jp/moment/30w.html

14 その手を振り払う勇気

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