『愛しい人』

2004年12月13日
 愛しい人よ。
 貴方に全部、あげるから。

 まるで恋人同士みたいに、兄貴に寄り添って、くっついて、甘えた。
 空っぽだったり、穴だらけだったりする私を、一番確実に戻してくれるのは、やっぱりこの人しかいないから。何となく、気持ちのままに体を動かして、あまやかな優しさに溺れることにした。なんとなく、疲れた気がした。
「何かあったのか?」
「うん、いっぱい」
 何が起きたのかなんて、一言も口にしてないけれど、やっぱり兄貴は悟ってくれる。まぁ、私の行動が露骨だっていうのもあるんだろうけれど。
 だけど私は言わない。何が起きたかなんて、口にできない。言葉にできないし、音にはもっとできない。そうしてきっと、ほったらかしにして、忘れてしまうのだということは、もうわかっているけれど。
「辛い?」
「全然」
「苦しい?」
「全く」
「寂しい?」
「平気」
 目を合わせないまま、それでいて私達は同じ場所を見ていた。
 兄貴の言葉に、一つ一つこたえながら、本当は答えなんてどこにもないことを、私は知っていた。ただ何となく、言葉の羅列を口に出していただけ。
「じゃあ、泣きたい?」
「…………」
 同じように、適当な言葉を呟けば良いのに、この瞬間だけ私の心は止まった。

 自分の気持ちというものを、随分前に亡くしてしまってから、私はやっぱり色々なことに無頓着になってしまった。気にならないというか、気にするのが面倒というか、気づけないというか。
 自分が痛くないから、他人の痛みなんてわかる筈がないし、言葉にできないから、意味もわからない。
 どんどん適当になっていくけれど、それが悪いことだとも思えない。
 ただ。

 「うん」
 ほんの数秒後、私はこの上なく素直な気持ちで頷いていた。
 今、泣けたなら。
 涙を流し、痛いとか苦しいとか、悲鳴のように叫びながら、兄にしがみついて泣けたなら。
 きっとずっと楽になれた気がした。

 「そうか」
「うん、そうかも」
 低い声で囁いて、兄はぽんぽんと私の頭を軽く叩いた。それから肩とか背中とかを同じように優しく叩いてくれた。ほんのりとした温かさがその部分に広がって、不意に息苦しさが消えた気がした。
「……兄貴が」
 その温かさがあまりに優しくて、しがみついた体に顔を埋めながら、呟いた。
 兄が私のことを全部理解して、痛みも寂しさも悲しみも教えてくれたなら。
「千夏じゃなくて、兄貴が全部わかってくれたら、良かったのに」
 言ってはいけないことだと、知ってはいたけれど。

 貴方が私達を全部もらってくれて、全部教えてくれたなら。
 あんな不安定で覚束なくて、愛おしいほどの痛みは、きっと存在しなかった。

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切ない30の言葉達
http://purety.jp/moment/30w.html

15 愛しい人

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