『hair-trigger』
2004年12月26日 夏 恋とは求めるもの。愛とは与えるもの。
学校から一緒に帰った友達も、心配げに私を振り返りながら、自分の家へと帰っていった。その後ろ姿に手を振りながら、すでに乾いた目元を、私はそっと拭った。
微かに涙の跡が残る頬を、袖口でこすり、顔を上げる。
俯くことなんてないし、大丈夫。ただやっぱり、きっと赤くなっている目元は人に見られたくないな。そう思いながら、部屋へと向かおうとして、私は足を止めた。
どうしてこういうタイミングで、この人は現れるんだろう。
寮の入り口には自販機が何台か置いてある。
その中の一つ、この季節ほとんど利用されないアイスクリームの販売機の前で、難しい顔をしているのはナツだった。寒がりだといって憚らないくせに、生足を出したり、胸元の大きく空いた衣服ばかり着ている彼女は、今はアイスクリームを選んでいるらしい。
なんというか、矛盾ばかりしている人だと思う。
けれどその矛盾を、彼女は迷わないから。
だからきっと、不思議と曲がって見えないのだと思った。
「あ、ユウ」
真剣な顔で自販機を睨んでいたナツは、ふとこちらを向いて、へらりと笑った。覇気とか真面目さとか、そういうきりっとしたところが少しもない笑みが、何故か心に染み渡り、私もしまりのない顔で笑い返した。
「ねーねー、バニラとチョコチップどっちがいーと思うー?」
それから、もう一度自動販売機を睨みはじめたから、思わず何故か吹き出して「バニラ」と答えてみた。
「じゃ、ソレで」
ピっという電子音とともに、ナツはバニラアイスを手に入れて、また楽しそうに笑った。
最近パーマをかけて、見た目短くなった髪を、今日はヘアゴムで小さく束ねていた。首や顎の線がすっきりして見えて、いつも以上に寒々しい。それなのに手にはバニラアイス。本当によくわからない子だと思う。
そんなナツは、パッケージをめくりながら、私の顔を見て、ちょっと首を傾げた。
「泣いた?」
ナツは白いアイスをちらりと舐めながら、細い指先で私の頬をぴんと弾いた。
その言葉と動作に、はっとして私は俯いた。
「じゃ、コレ、あげる」
ふぅんと頷きながら、よくわからないことをいい、ナツは私の手にアイスクリームを押しつけると、「帰ろうか」と言った。
なんとなくの流れでナツの部屋に行き、溶けかけたアイスを食べながら、何があったかを全部話すと、またぽろぽろと涙が零れだした。
それでも嗚咽は出ず、ただ涙を流し続ける私を見て、ナツはまたふぅんと言った。
「まだセンパイが好きな訳?」
「……そういうんじゃない、よ」
かなり無神経な問いかけに、首を振って答えると、ナツは何も答えず、部屋の隅にあったティッシュペーパーの箱を投げて渡してくれた。
「哀しい? 寂しい? 痛い?」
よくわからない三択を並べて、ナツは笑うこともなく、かといって真面目な顔をするでもなく、透明な瞳で私をじっと見つめる。
「全部……」
ティッシュを目元に当てて、答えながら笑うと、そっかと返事が帰ってきた。
「で、後ろ髪引かれてる訳だ」
なるほどね、と一人納得するように頷いてから、いつものようににやりと悪戯っぽく笑って、
「切ってあげようか?」
と言った。
じゃあ切ってと言うと、自棄になってないかとナツは驚いたように言った。まさか私が本当に頷くとは思っていなかったらしい。久しぶりに彼女の裏をかいたような気がして、少しだけ楽しくなった。
「どうなっても知らないからね」
そう前置きをしてから、ナツは髪用のハサミを持って来てくれた。それから少し悩んで、お風呂場に行こうと言った。
共同の大浴場は深夜ということもあり、人が少なかった。
いつもお風呂に入るように、服を脱いで浴室に入り、洗い場に座る。ナツは私の後ろに膝立ちして、くるくると器用にハサミを回して遊びながら、切るよと囁いた。
曇った鏡に映る自分を見ていると、ざりっと音が聞こえた。神経が通っていないにも関わらず、確かに自分の一部が切り取られたことがわかってしまう感覚。背筋が微かに粟立ち、思わずぎゅっと目を閉じた。
その間にもナツは迷うことなく、ざくざくと私の一部を切り刻んでいた。
そうやって何かがなくなり、終わっていく感覚に、閉じた瞳からまた涙がぽろりとこぼれ落ちた。
「泣けるときに泣いておけば」
ふと投げやりな声が聞こえた。
「自分のためだけに、泣いてあげれば」
手を休めることもなく、ナツは静かに囁いた。
無感動で無表情なその声に、私は心を揺さぶられ、やっと声を出して泣くことができた。はき出せなかった色々な気持ちが、大浴場の湯気に解け、捨てきれなかった気持ちは、髪と一緒に切り刻まれていく。
その中で、私の終わってしまった恋のためだけに、私は泣いた。
お風呂を上がって髪を乾かしながら、ナツの腕に感心した。
ひょっとしたらすごいことになるかもしれないと、緊張していた甲斐なく、割と綺麗なショートヘアに仕上がっていたからだ。
「ありがと」
「どういたしまして」
それから今度アイスを奢ってね、と綺麗なウィンクを一つくれた。
哀しいことは、寂しいこと。
寂しいことは、貴方といられないこと。
貴方がいてくれたらと願うことは、貴方に対し何かを求めること。
だから私の思いは、愛になろうと背伸びした、ただの恋だったのでしょう。
寂しさと悲しさに泣いていた私を、貴方が慰めてくれた時から、貴方の存在を求めていました。ずっと隣にいてくれたらと思っていました。
寄りかからせてくれた居場所が、あまりに心地よくて、そのまま永遠があるのだと信じ込んでしまいました。
けれど貴方が色々なことを教えてくれたから、私の永遠は崩れ落ち、幼い恋は終わります。
ありがとう、わたしの大好きな、ひと。
さようなら、わたしの大好きだった、ひと。
そしておつかれさま。わたしの小さな恋心。
学校から一緒に帰った友達も、心配げに私を振り返りながら、自分の家へと帰っていった。その後ろ姿に手を振りながら、すでに乾いた目元を、私はそっと拭った。
微かに涙の跡が残る頬を、袖口でこすり、顔を上げる。
俯くことなんてないし、大丈夫。ただやっぱり、きっと赤くなっている目元は人に見られたくないな。そう思いながら、部屋へと向かおうとして、私は足を止めた。
どうしてこういうタイミングで、この人は現れるんだろう。
寮の入り口には自販機が何台か置いてある。
その中の一つ、この季節ほとんど利用されないアイスクリームの販売機の前で、難しい顔をしているのはナツだった。寒がりだといって憚らないくせに、生足を出したり、胸元の大きく空いた衣服ばかり着ている彼女は、今はアイスクリームを選んでいるらしい。
なんというか、矛盾ばかりしている人だと思う。
けれどその矛盾を、彼女は迷わないから。
だからきっと、不思議と曲がって見えないのだと思った。
「あ、ユウ」
真剣な顔で自販機を睨んでいたナツは、ふとこちらを向いて、へらりと笑った。覇気とか真面目さとか、そういうきりっとしたところが少しもない笑みが、何故か心に染み渡り、私もしまりのない顔で笑い返した。
「ねーねー、バニラとチョコチップどっちがいーと思うー?」
それから、もう一度自動販売機を睨みはじめたから、思わず何故か吹き出して「バニラ」と答えてみた。
「じゃ、ソレで」
ピっという電子音とともに、ナツはバニラアイスを手に入れて、また楽しそうに笑った。
最近パーマをかけて、見た目短くなった髪を、今日はヘアゴムで小さく束ねていた。首や顎の線がすっきりして見えて、いつも以上に寒々しい。それなのに手にはバニラアイス。本当によくわからない子だと思う。
そんなナツは、パッケージをめくりながら、私の顔を見て、ちょっと首を傾げた。
「泣いた?」
ナツは白いアイスをちらりと舐めながら、細い指先で私の頬をぴんと弾いた。
その言葉と動作に、はっとして私は俯いた。
「じゃ、コレ、あげる」
ふぅんと頷きながら、よくわからないことをいい、ナツは私の手にアイスクリームを押しつけると、「帰ろうか」と言った。
なんとなくの流れでナツの部屋に行き、溶けかけたアイスを食べながら、何があったかを全部話すと、またぽろぽろと涙が零れだした。
それでも嗚咽は出ず、ただ涙を流し続ける私を見て、ナツはまたふぅんと言った。
「まだセンパイが好きな訳?」
「……そういうんじゃない、よ」
かなり無神経な問いかけに、首を振って答えると、ナツは何も答えず、部屋の隅にあったティッシュペーパーの箱を投げて渡してくれた。
「哀しい? 寂しい? 痛い?」
よくわからない三択を並べて、ナツは笑うこともなく、かといって真面目な顔をするでもなく、透明な瞳で私をじっと見つめる。
「全部……」
ティッシュを目元に当てて、答えながら笑うと、そっかと返事が帰ってきた。
「で、後ろ髪引かれてる訳だ」
なるほどね、と一人納得するように頷いてから、いつものようににやりと悪戯っぽく笑って、
「切ってあげようか?」
と言った。
じゃあ切ってと言うと、自棄になってないかとナツは驚いたように言った。まさか私が本当に頷くとは思っていなかったらしい。久しぶりに彼女の裏をかいたような気がして、少しだけ楽しくなった。
「どうなっても知らないからね」
そう前置きをしてから、ナツは髪用のハサミを持って来てくれた。それから少し悩んで、お風呂場に行こうと言った。
共同の大浴場は深夜ということもあり、人が少なかった。
いつもお風呂に入るように、服を脱いで浴室に入り、洗い場に座る。ナツは私の後ろに膝立ちして、くるくると器用にハサミを回して遊びながら、切るよと囁いた。
曇った鏡に映る自分を見ていると、ざりっと音が聞こえた。神経が通っていないにも関わらず、確かに自分の一部が切り取られたことがわかってしまう感覚。背筋が微かに粟立ち、思わずぎゅっと目を閉じた。
その間にもナツは迷うことなく、ざくざくと私の一部を切り刻んでいた。
そうやって何かがなくなり、終わっていく感覚に、閉じた瞳からまた涙がぽろりとこぼれ落ちた。
「泣けるときに泣いておけば」
ふと投げやりな声が聞こえた。
「自分のためだけに、泣いてあげれば」
手を休めることもなく、ナツは静かに囁いた。
無感動で無表情なその声に、私は心を揺さぶられ、やっと声を出して泣くことができた。はき出せなかった色々な気持ちが、大浴場の湯気に解け、捨てきれなかった気持ちは、髪と一緒に切り刻まれていく。
その中で、私の終わってしまった恋のためだけに、私は泣いた。
お風呂を上がって髪を乾かしながら、ナツの腕に感心した。
ひょっとしたらすごいことになるかもしれないと、緊張していた甲斐なく、割と綺麗なショートヘアに仕上がっていたからだ。
「ありがと」
「どういたしまして」
それから今度アイスを奢ってね、と綺麗なウィンクを一つくれた。
哀しいことは、寂しいこと。
寂しいことは、貴方といられないこと。
貴方がいてくれたらと願うことは、貴方に対し何かを求めること。
だから私の思いは、愛になろうと背伸びした、ただの恋だったのでしょう。
寂しさと悲しさに泣いていた私を、貴方が慰めてくれた時から、貴方の存在を求めていました。ずっと隣にいてくれたらと思っていました。
寄りかからせてくれた居場所が、あまりに心地よくて、そのまま永遠があるのだと信じ込んでしまいました。
けれど貴方が色々なことを教えてくれたから、私の永遠は崩れ落ち、幼い恋は終わります。
ありがとう、わたしの大好きな、ひと。
さようなら、わたしの大好きだった、ひと。
そしておつかれさま。わたしの小さな恋心。
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