『Don’t enter』

2004年7月12日
 あの場所に入ってはいけないよ、小さい頃、そう教えられた場所がある。

 彼女が物心ついた時、側には父だけがいた。
 父は戦う人だった。誰かの護衛につくこともあれば、何処かの国の戦争に傭兵として出向くこともあり、時には暗殺者として誰かを殺すこともあった。
 彼は戦う人だった。
 戦うことと、殺すことしか知らない人だった。
 彼女は、そんな男の娘だった。

 入ってはいけない、幼い娘に父が教えた場所は、とある酒場の一番奥にあるドア。父は時折そこに入りながら、振り返り、娘を見ては、ドアの中に入らないように気を配っていた。
 戦うことしか知らない、殺すことしか知らない、父親としての愛情の薄い男が。
 幼い娘は一度だけ、父が入ったそのドアに耳をよせたことがある。周囲の大人達は、そんな彼女を見て見ぬふりをしていた。娘の父が、その扉を我が子に触れさせないように、気を配っていることを知っていたにも関わらず。
 何故なら、誰もが知っていたのだ。
 彼女は、戦い他人を殺す男の、娘だということを。

 ぼそぼそとした話し声を耳にした娘は、瞬時に悟った。父は此処で誰かを殺す話をしているのだ。顔も知らない誰かを殺し、そうして金を手に入れる話をしている。
 娘は静かに、音もなく思った。
 父は知っているのだ。私が、戦うことしか知らず、他人を殺すことでしか生きられない男の娘が、いつかこの扉を開け、向こう側の世界に住んでしまうことを。
 そうして、この薄い扉で世界を遮ろうとしているのだろう。

 馬鹿な人だと思った。
 けれど娘は、扉を開けた。

 将来、≪血濡れの紅≫と呼ばれる娘は、このときまだ十歳だった。

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