『憧れの地』

2004年8月26日
 闇とは優しいものだ。

 月代にとって、闇というのは、生まれたときから側にあった。
 彼よりもずっと力を持っている母や姉も、闇の精霊だけは言葉を聞くことも叶わなかった。彼女たちは、光の中で生きる人たちであったのだから、それはある意味当然のことなのかもしれない。
 元々、月の光を浴びて生きる一族だけあって、闇を心底疎んじているような人はいない。けれど矢張り、誰もが求めるのは月の光なのだ。夜の闇ではない。
 彼はその光の途切れた、新月の夜に生まれた。
 だからなのだろうか。闇をとても優しいと思ってしまうのは。

 新月の夜は、一族の誰もが命からがらといった風情だ。月の恩恵を受けられないと言うことが、本当に耐え難い苦痛なのだそうだ。確かに両親も姉も、このときばかりは自分のことだけで精一杯という様子だった。
 そんな中、新月の加護をもって生まれた月代は、闇に苦しむこともなく、いつも通りの生活を続けることができる。
 星の灯りばかりが目立つ夜空を見上げ、しっとりとした草原に寝ころぶと、闇の精霊がふわりと近寄ってくるのが分かった。
 いつもそうだ。
 身体を包み込むように、そっと身を寄せてくる闇は、どうしようもないほどに緩やかな温もりを持っている。それでいて触れた瞬間だけ、ふっと空気が涼しく感じられるのだ。
 闇は終わりを司ると言うが、それは本当に真実だと思う。
 終末と、そこから新たに何かが生まれる再生。傷をつけておきながら、もう大丈夫と耳元で囁くような、静かな誘惑。
 純粋な優しさと労りで、闇は何かを奪っていく。そうして、忘却の川に溺れながら、また明日を手に入れることができてしまうのだ。

 目を閉じても広がる暗闇の向こう側に、手を伸ばしそうになり、月代は寝返りを打った。
 その瞬間、しっとりとした夜露が頬に触れ、そっと流れ落ちていった。

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