人通りの少ない山奥の街道。
それが木々の合間に見えなくなる距離で、私は太い幹に寄りかかっていた。でこぼこした根の間に腰を下ろし、足はだらしなく伸びている。土にまみれた素足から視線を動かしていくと、骨ばかりが目立つ膝小僧、汗と砂埃で薄汚れたスカートの裾、そして膝枕をするように横たわる金色の頭があった。
横たわっているのは金髪の少女だった。私と同じように汚れた、同じような服を着ている。やせ細った肩は今にも折れてしまいそうだ。元々は綺麗な髪だったのかもしれない。けれど何日も洗っていない金色の髪はくすんでいて、その面影を伺うことはできなかった。
時折風に揺れる髪を、指先で梳いてはみるものの、私の指もすでに汚れきっていて、輝きを取り戻すことはできそうにない。それでも髪を撫でるのは、それ以外に何をすればいいのかわからなかったからだ。
髪の合間から見える頬や首から、赤い斑点が見えた。
これは今年流行った感染症の特徴だった。その病気は高熱を伴い、早急に治療をしなければすぐに死に至る。その即効性故に、たくさんの人を死に至らしめたらしい。
らしい、などと半端な表現をする必要は本当はない。その実体を私はあまり知らなかったけれど、今は知っている。
高熱を発する病に倒れたはずの少女の頬に、手を滑らせる。
ひんやりとした固い手触り。
「サーシャ」
囁くように彼女の名前を呼んでも、応えは返らない。
のろのろと視線を動かせば、同じような格好の数人の男女が、同じように倒れている。そして同じように動かない。
生い茂る木々の隙間にある空を探し、私はまたサーシャの髪を撫でた。それ以外にすべきことが、本当に解らなかった。
私とサーシャを含め、倒れている人たちは、全員が奴隷として売られていく所だった。馬車とは名ばかりの狭い箱に閉じこめられ、鎖で繋がれ、息を殺しながらどこかへ運ばれていく途中だった。身じろぎすれば埃が舞い上がるような空間で、敷き詰められた藁に埋もれ眠った。食事は一日に一度。固いパンの欠片のみ。
サーシャは私が馬車に乗ってから、数日後にやってきて私の隣に繋がれた。誰もが諦めた表情で何も言わないのに対し、あの子はいつもすすり泣いていた。怖い怖いと呟きながらも、決して助けてとは言わない。そのか弱さと現実を受け止める強さの矛盾が不思議で、思わず髪を撫でたことから、サーシャは私に寄り添うようになった。
多分、あの子は本当に怖かったのだ。本当にそれだけだったのだろう。
助けを請うたところで、何も変わらない。けれど恐怖を胸の内にしまっておく程は強くなかったのだ。
だから私はサーシャが泣いたときは、髪を撫でてやった。言葉を交わすことはなかったけれど、そうやって数日を過ごしてきた。
サーシャが来て三日目の朝、目を覚ますと彼女は高熱を出していた。どうして良いか解らず、私はやっぱり髪を撫でていた。食事を持ってきた男はサーシャの様子に気づいたようだったけれど、何も言わずに固いパンを置いて去っていった。
そして次の日、熱の下がらないサーシャを相変わらず撫でていると、その首元に赤い斑点があるのを見つけた。それの意味するところも私は知っていた。愕然とする私にサーシャの逆隣の男が気づき、視線を彷徨わせた後声を上げた。それは波のように広がり、狭い馬車の中は半狂乱に陥った。
昨日と同じように食事を持ってきた男は、馬車の惨状をすぐに把握すると、舌打ちをして出ていった。
そして私たち全員を馬車から出すと、森の中に追いやり、置き去りにした。
不衛生な馬車の中で、誰かが病気になったということは、全員がその病気にかかると言うことだ。そして売る前に死ぬような奴隷に、食事を与える程彼らは暇ではない。そういうことだ。
狭い馬車から解放されたとはいえ、両足についた鎖はそのままだった。逃げようと不自由ながら、歩き出した人もいれば、すぐに熱を出して倒れた人もいた。
私はもたれかかってくる熱いサーシャの髪を、ただただ撫でていた。
サーシャが泣くことしかできなかったように、私もそうすることしかできなかった。
そしてそれは、彼女が死に、他のみんなが死んだ今でも変わらない。
どうして私だけが、生き残ったのだろう。
それは私が売られる以前に、この病気にかかり、きちんとした治療を受けていたからだろう。一度治れば、免疫がつくからもう大丈夫だと、当時医者に言われた言葉を思い出す。
どうして私だけが、生き残ったのだろう。
自問自答する中、確実に餓死が迫っていることも私は知っていた。
サーシャを撫でることももうできそうにない。
だから途切れそうになる意識の中で、私は子守歌を歌った。
そうしたら、サーシャが少しでも喜んでくれる気がしたから。
そう思うと、微かに笑みが浮かんだ。
きっともう終わる。私もみんなと同じようになる。
そう、だからもう大丈夫。
そして私は目蓋を下ろした。
それが木々の合間に見えなくなる距離で、私は太い幹に寄りかかっていた。でこぼこした根の間に腰を下ろし、足はだらしなく伸びている。土にまみれた素足から視線を動かしていくと、骨ばかりが目立つ膝小僧、汗と砂埃で薄汚れたスカートの裾、そして膝枕をするように横たわる金色の頭があった。
横たわっているのは金髪の少女だった。私と同じように汚れた、同じような服を着ている。やせ細った肩は今にも折れてしまいそうだ。元々は綺麗な髪だったのかもしれない。けれど何日も洗っていない金色の髪はくすんでいて、その面影を伺うことはできなかった。
時折風に揺れる髪を、指先で梳いてはみるものの、私の指もすでに汚れきっていて、輝きを取り戻すことはできそうにない。それでも髪を撫でるのは、それ以外に何をすればいいのかわからなかったからだ。
髪の合間から見える頬や首から、赤い斑点が見えた。
これは今年流行った感染症の特徴だった。その病気は高熱を伴い、早急に治療をしなければすぐに死に至る。その即効性故に、たくさんの人を死に至らしめたらしい。
らしい、などと半端な表現をする必要は本当はない。その実体を私はあまり知らなかったけれど、今は知っている。
高熱を発する病に倒れたはずの少女の頬に、手を滑らせる。
ひんやりとした固い手触り。
「サーシャ」
囁くように彼女の名前を呼んでも、応えは返らない。
のろのろと視線を動かせば、同じような格好の数人の男女が、同じように倒れている。そして同じように動かない。
生い茂る木々の隙間にある空を探し、私はまたサーシャの髪を撫でた。それ以外にすべきことが、本当に解らなかった。
私とサーシャを含め、倒れている人たちは、全員が奴隷として売られていく所だった。馬車とは名ばかりの狭い箱に閉じこめられ、鎖で繋がれ、息を殺しながらどこかへ運ばれていく途中だった。身じろぎすれば埃が舞い上がるような空間で、敷き詰められた藁に埋もれ眠った。食事は一日に一度。固いパンの欠片のみ。
サーシャは私が馬車に乗ってから、数日後にやってきて私の隣に繋がれた。誰もが諦めた表情で何も言わないのに対し、あの子はいつもすすり泣いていた。怖い怖いと呟きながらも、決して助けてとは言わない。そのか弱さと現実を受け止める強さの矛盾が不思議で、思わず髪を撫でたことから、サーシャは私に寄り添うようになった。
多分、あの子は本当に怖かったのだ。本当にそれだけだったのだろう。
助けを請うたところで、何も変わらない。けれど恐怖を胸の内にしまっておく程は強くなかったのだ。
だから私はサーシャが泣いたときは、髪を撫でてやった。言葉を交わすことはなかったけれど、そうやって数日を過ごしてきた。
サーシャが来て三日目の朝、目を覚ますと彼女は高熱を出していた。どうして良いか解らず、私はやっぱり髪を撫でていた。食事を持ってきた男はサーシャの様子に気づいたようだったけれど、何も言わずに固いパンを置いて去っていった。
そして次の日、熱の下がらないサーシャを相変わらず撫でていると、その首元に赤い斑点があるのを見つけた。それの意味するところも私は知っていた。愕然とする私にサーシャの逆隣の男が気づき、視線を彷徨わせた後声を上げた。それは波のように広がり、狭い馬車の中は半狂乱に陥った。
昨日と同じように食事を持ってきた男は、馬車の惨状をすぐに把握すると、舌打ちをして出ていった。
そして私たち全員を馬車から出すと、森の中に追いやり、置き去りにした。
不衛生な馬車の中で、誰かが病気になったということは、全員がその病気にかかると言うことだ。そして売る前に死ぬような奴隷に、食事を与える程彼らは暇ではない。そういうことだ。
狭い馬車から解放されたとはいえ、両足についた鎖はそのままだった。逃げようと不自由ながら、歩き出した人もいれば、すぐに熱を出して倒れた人もいた。
私はもたれかかってくる熱いサーシャの髪を、ただただ撫でていた。
サーシャが泣くことしかできなかったように、私もそうすることしかできなかった。
そしてそれは、彼女が死に、他のみんなが死んだ今でも変わらない。
どうして私だけが、生き残ったのだろう。
それは私が売られる以前に、この病気にかかり、きちんとした治療を受けていたからだろう。一度治れば、免疫がつくからもう大丈夫だと、当時医者に言われた言葉を思い出す。
どうして私だけが、生き残ったのだろう。
自問自答する中、確実に餓死が迫っていることも私は知っていた。
サーシャを撫でることももうできそうにない。
だから途切れそうになる意識の中で、私は子守歌を歌った。
そうしたら、サーシャが少しでも喜んでくれる気がしたから。
そう思うと、微かに笑みが浮かんだ。
きっともう終わる。私もみんなと同じようになる。
そう、だからもう大丈夫。
そして私は目蓋を下ろした。
コメント